「牛窓クラフト散歩」のスタンス

「瀬戸内国際芸術祭のさきがけ」とも云われている「牛窓国際芸術祭」を主宰された(故)服部恒雄さんが、倉敷で立ち上げたばかりのクラフトフェアの会場を訪ねて下さった日のことは、今も忘れることができません。爽やかな五月の風が吹き抜ける広場で、冗談も交えながら牛窓国際芸術祭に至ったいきさつを聞かせてもらいました。
「現代美術が街に出る」というコンセプト自体が珍しい時代(1984~1992)に開催された祭典だったので、様々な困難やご苦労もあったことでしょう。
服部さんに教えを請いたくて、「牛窓の街並みとオリーブ園を舞台にしたクラフトイベントが実現できれば、服部さんの意思を汲むことに繋がるかもしれませんね」と問いかけたら、「開催が決まったら全面的に協力しますよ」といったお墨付きまでいただいたその日から、僕は牛窓を舞台にしたクラフトイベントを夢心地で妄想し始めます。

東日本大震災の支援「岡山から被災地に手仕事を届ける会」を共にしていたギャラリー店主に牛窓での構想を伝え、引き続き命綱を握り合うことに。
僕からは「牛窓国際芸術祭に学んで企画展にすること」を条件に出し、
公募方式にはしませんでした。
常日頃から「全ての不幸の始まりは、物事を比べるところに根っこがある」と考えている僕は、作品の写真や情報だけで出展作家を選考する手法を好みません。僕は選ばれる側(作家)の立場だから、書類や写真で作品が評価されている(比べられる)現場に立つと、自分の作品もこんなかたちで選考の対象になってしまうのかと心が締めつけられるし、作家がまるで駒のように扱われてることも許せません。
「選ばれるのは、使い手の視線だけで十分です」と言いたくなる気持ちを抑えることで精いっぱい・笑

牛窓では、自分の好みをたどったり作品を評価することなく、
「作家ひとりひとりのモノづくりの姿勢に
牛窓クラフト散歩の今後をゆだねてみたい」という願いを持ち続けています。





「モノを愛する前に人を愛しなさい」
モノの形やスタイルに捉われていた拙い木工を諭すように助言してくれた師の言葉を思い起こしながら ご縁のできた作家を訪ね、暮らしとモノづくりが重なり合うような作家の日常から、ありのままの仕事ぶりを伝えてほしいと願うだけです。




(写真提供)牛窓クラフト散歩実行委員会

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プロフィール

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山本美文アトリエ
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