【洗練】とは程遠いのかもしれないけれど、
使い勝手が導き出す形には
今も昔もない。
なんでもない普通の形。
さりげなく他と調和する形。
使い勝手が導き出す素朴な形。
それらは、
決して目立つ存在ではけれど、
「必然性」という言葉のもつ意味を
僕たちに教えてくれる。
旧き良きものに学びながら、
現代の暮らしにもマッチするデザインの
筋道を立てることはむずかしい。
お店が撤退したため、
岡山では見かける機会も減ってしまった三越の包装紙には、
画家(猪熊弦一郎)が拾ってきた様々な石ころの形がちりばめられ、
デザイン化されています。
その秀逸なデザイン【必然の形(石ころ)をデザインに昇華】からは、
「洗練」と「素朴」という相反する理念をひとつに集約した
画家の手腕が見て取れます。
目新しさを先行させなくても斬新な
デザイン観ってあるんですよね!(憧れちゃいます)
しかしながら、
そのような力を持ち合わせていない僕には、
もっともっと単純な手法でしか
デザインをとらえることができません⤵
例えば
シェーカー様式に学び、
オーバルボックスを習作してみる。
(頭が弱い分、手から補習)
習作したオーバルボックスを眺め(横目に)、
その形が自分の中で消化され、
日常の光景の一部に見えてくる日を待ちます。
(たとえ年月がかかったとしてもね!)
そして、只只
僕の中に創作のアイディアが降りてくる日を
待ち続けるという手法!(それって手法って呼べるのかな?)
リ・デザインって呼んだ方がわかりやすいのかも。
オーバルボックスを
弁当箱に仕立ててみようと思い立ったのも
娘に持たせる弁当箱を探していた頃のこと。
当初、
オーバルボックスに漆を塗ったものを持たせてみましたが、
蓋がはずれたり、汁が漏ったり。
(蓋を深くし、布着せで汁ものに対処)
とどめ?は、
高校生になった娘の言いぐさ・・・
「お父さん、これ地味~~~!」
すり漆の茶色は、
女子高生には地味に映ったよう~で(笑)
ならば、ハレの日の朱(漆)仕立てでどうだ!
(朱色は無事受け入れられ、3年間愛用してくれたのでした)
普段使いに白漆やすり漆、
祝いの席用に朱漆を提案してきたのは、
ハレの日・ケの日が生みだす先人の知恵から
「ささやかな幸せ」を掴んでもらいたかったから・・・
考えようによっては、
女子高生のお昼ご飯(お弁当)時って
「ハレのひととき」だったのかな?