初個展は、倉敷のギャラリーでした。
片道の旅費しか持ち合わせていなかったので、
何も売れなければ、
木工を辞める覚悟で倉敷に向かった車中での気持ちが甦ります。
初日に出向いてくれた組み木作家・小黒三郎さんに誘われるまま、
ギャラリーから歩いて直ぐのアトリエで
小黒さんの手料理を囲み、ワイン片手に
大御所の意見を聞けた日の歓びは、今でも忘れられません。
小黒さんには、デザイン論だけでなく、
工芸界の「雲の上の人(作家)」を囲む席に誘ってもらったり、
全国各地のギャラリーを紹介してもらったり、
その後も多大なる影響を受けました。
その頃、松本では
審査によって選ばれる従来型の公募展と距離をおき、
使い手が、
好きなものを 堂々と「いいモノ」と言える
クラフトフェアが話題になり、
「権威なき屋外展」として注目され始めていました。
まだ自立型のテントがない時代だったので、
雨が降ってきたら、避難していたような記憶が・・・笑
「無審査ゆえ優劣はなく、選び出すのはクラフトフェアを訪れた一人一人の感性」
審査員が美を指南する保守的な工芸展へのアンチテーゼもあったのか?
経歴を並べ立てる作家もなく、
使い手の目を信じ、
作り手と使い手が肩を寄せ合う光景は、
会場を吹き抜ける風のように爽やかに、工芸界に新風を巻き起こしました。
信州時代に製作していた家具の写真
↓
久々に見ると、
懐かしいなぁ~~~
(30~35才頃の作品です)
木工の世界に足を踏み入れ、
「職人は10年で半人前、20年で一人前に育つ」と教えられ、
当初2~3年で一人前になれると思っていた夢も崩れ、
10年間(一人前になるためのスタートラインまで)は、
信州で続けていこう!と覚悟します。
スキーとの二足の草鞋を履く余裕など ないことに気づくのでした。
(つづく)
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