岡山に帰郷(工房移転)した25年前、
「民芸」の倉敷、「伝統工芸」の岡山の知名度は既に全国区でしたが、
「クラフト」という言葉を耳にする機会は少なかったように思います。
地域に根ざした民芸、技術の粋を結集した伝統工芸に対して、
「クラフト」ってどのような印象を持たれているのでしょう?
僕は、何も制限されない手仕事のことを「クラフト」と呼んでいます。
(だから、捉えどころがない分野なんですね・笑)
2006年、
「フィールドオブクラフト倉敷 」の立ち上げにあたり、
ご挨拶がてら地元のギャラリーを廻ったおり、
作り手が直に作品を販売するクラフトフェアが受け入れられると、
ギャラリーが不要になることを懸念する率直なご意見も頂戴しました。
僕は、実行委員ではありましたが、
ギャラリーに育ててもらった一作家でもあるので、
これから先も、ギャラリーと共に(手を携たずえて)
歩んでいきたいと思っています。
クラフトフェアは工芸の裾野を広げる役目。
クラフトを身近に感じてくれるファンを増やすことで、
作家の個展会場(ギャラリー)に、 足を運んでくれるお客様が増える筈です!
と説得。
ところが、僕の描いていた思惑通りにことは進まず・・・
クラフトフェアは浸透するものの、
クラフトフェアを愛するファンの方々にとっては、
ギャラリーに敷居の高さを感じちゃうのか?
「クラフトフェアのファン」=「ギャラリーのファン」には
なかなか結びついてくれません・・・
回を積み重ねるごとに、
ギャラリーサイドと交わした
「クラフトフェアからいずれギャラリーに」という約束を守れていないことに、
僕の心は押しつぶされそうになっていきます。
クラフトフェアとギャラリーを繋ぐ何かが足りない・・・
そんな悩みをいだいていた頃、
「フィールドオブクラフト倉敷」の会場に、
(株)「日本オリーブ」の会長だった故・服部恒雄さんが訪ねてくださいました。
現在の「瀬戸内国際芸術祭」の先駆けとも言われている
「牛窓国際芸術祭」(1984~1992)を主宰されていた 服部さんから
美術を牛窓の街に取り込んだ 意図についてお話を伺い、
工芸を生活文化に結びつけるヒントをもらいました。
体調不良でフィールドオブクラフト倉敷を脱会した数年後、
牛窓の町家をギャラリー空間に見立て、
「フィールドオブクラフト倉敷」と「ギャラリー」の繋ぎ役をコンセプトに
立ち上げた「牛窓クラフト散歩」は、
「牛窓国際芸術祭」に学び、
僕たちのできる範疇で構想した街角クラフトフェアです。
服部恒雄さんが美術を牛窓の街に落とし込んだように、
小さな港町を工芸の色に染めていくことで、
工芸の敷居を下げ、
クラフトフェアとギャラリーを繋ぐための小さな試みです。
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撮影:牛窓クラフト散歩実行委員会
(つづく)