「50を過ぎたら、無理するな」
入院は勿論、大病すら患ったことのない僕は、
諸先輩方からの忠告に耳を傾けることもなく、
個展を前にして明け方まで漆の仕事を続けていたのでした。
フラフラするのはいつものこと。
初日を終えたら、ゆっくり休養でもするつもりだった出先のホテルから、
まさかの救急搬送・・・
「血圧低下」
「脈が取れなくなりました」・・・救急隊員からの報告と
大きな声で「足をあげろ!」と指示する隊長の言葉だけが脳裏に焼きついています。
ホテルで目覚めた時、
これまで経験したことのない体調不良で起き上がることができず、
ベッドからフロントに電話。
もしその時、
電話していなかったら、僕は生還できていなかったと思います。
幸い、救急隊員の素早い処置もあり、蘇生した僕の心臓・・・
病院に着いてからの(意識が戻ってからの)様子は、
今でもはっきり覚えています。
(診察医との会話)
診察医 「心臓はもう大丈夫そうです。入院の手続きをしましょうか」
木工 「何ひとつ保証のない仕事なんで、 入院したら僕は明日から生きていけません!
自宅療養しながら仕事を続けます。病名だけ教えてください」
診察医 「心臓が戻っていなかったら、過労死ですかね」
木工 「過労死って、モーレツサラリーマンの病気じゃないんですか―!」(叫ぶ)
診察医 ・・・(あきれ顔)
51才の時でした。
たった、数秒?(数分?)
心臓が止まった?(止まりかけた?)だけで、
思っていたように体調は戻らず(無理を承知で仕事も続けていたので)、
51才にして、計3度の救急搬送を経験するはめに(常連さん・笑)
その後5年間、この僕が一滴もお酒を口にできなかったのですから、
むしろ そちらの方が心配でした。
(その頃出会った人は、今でも僕が下戸だと思ってるかも?)
(彫刻作品)「岐路」
右も左も選ばず、 地下に降りてでも真っ直ぐ進む
生還して以来、死ぬことが全く怖くなくなった僕は、
「どうせオマケの人生を生きるのだから、やりたいことだけはやっておこう!」
と、益々楽観的になり、
最後の最後まで残ったのが言葉だけだった体験から、
木工をパンセ(短章)に書き留め、
発表し始めます。 (つづく)