8月の二人展 at アンクル岩根ギャラリー・終了しました。

8/7から始まる榎本勝彦さんとの二人展のDMが届きました。

榎本勝彦 + 山本美文  二人展


アンクル岩根ギャラリー  /  岡山市北区中山下1-5-38
11:00~19:00(最終日は18:00まで)
〈問い合せ先〉090・2864・4852


榎本さんとは、三十数年前の倉敷での初個展からのお付き合いになりますが、
その頃と変わらぬ木彫の仕事ぶりからは、
身を正して木に向かう
作家の姿勢がひしひしと伝わってきます。





木の塊(かたまり)から削り出す器の仕事は、
とても彫刻的な仕事だと僕は思っています。





下流へ下る「水」に願いを託して彫った白漆の大鉢

その丘を抜ける「風」に祈りをこめた同形の鉢は、

10月に参加する『朔』展に出品予定です。

セットで扱う(出品する)べきだったかな~~?

直径300㍉、高さ110㍉の大鉢で、
幸せな時間を共有して下さる方のもとに届けたい器です。

混迷する現代社会においての「用の美」は、
民芸で語られてきた日常の使い勝手に加えて,
精神的な支えになる核も求められているように思えます。

BODY&SOUL

身も心も心酔できるものづくりの今を形にしてみたいと思います。

初日(8/7在廊予定)

小鳥の詩(うた)を唄いたい

ロクロも漆も習ったことのない木工は、
小鳥に倣って器を作ります。


お手本で頭に描くのは、




       小枝を集めた巣の形状。


器の「格好良さ」(デザイン性)ばかりに気を取られ、
自分らしさを追いかければ追いかけるほど
遠ざかっていく永遠性・・・

小鳥はいつもヒナのために巣作りをします。

守りやすい形もさることながら、
自然のリズムに耳を傾けていなければ、
ヒナは生きていくことさえできなくなるのです。

「生」のリアリティを持った形状は、
必然的に「永遠性」を帯びるものなのでしょう。

6月の東京(IN MY BASKET)展のお知らせ

「テクスチャーを楽しむ」器展

  6.10(木)~6.15(火)  
  11:00~19:00

(陶)大村剛   (ガラス)橋村大作・橋村野美知   (木工)   山本美文

(場所)IN MY BASKET         世田谷区玉川田園調布2-7-18セトル田園調布1F
                                                 田園調布駅から徒歩7分 / 自由ヶ丘駅から徒歩11分












オリジナリティを貫く強さ。
「情報」よりも「自らの手と目の力」を信じて歩む揺るぎない姿勢。
大村剛さんや橋村大作さん・野美知さんの作品に学び、
手仕事の歓びを分かち合いたいと思います。


期間の中盤からは、
オンラインでの販売も予定されているようです。










          

白漆の菓子皿&ケーキ皿を中心に、
定番のカフェオレボウルも製作中。











         





「牛窓クラフト散歩」のスタンス

「瀬戸内国際芸術祭のさきがけ」とも云われている「牛窓国際芸術祭」を主宰された(故)服部恒雄さんが、倉敷で立ち上げたばかりのクラフトフェアの会場を訪ねて下さった日のことは、今も忘れることができません。爽やかな五月の風が吹き抜ける広場で、冗談も交えながら牛窓国際芸術祭に至ったいきさつを聞かせてもらいました。
「現代美術が街に出る」というコンセプト自体が珍しい時代(1984~1992)に開催された祭典だったので、様々な困難やご苦労もあったことでしょう。
服部さんに教えを請いたくて、「牛窓の街並みとオリーブ園を舞台にしたクラフトイベントが実現できれば、服部さんの意思を汲むことに繋がるかもしれませんね」と問いかけたら、「開催が決まったら全面的に協力しますよ」といったお墨付きまでいただいたその日から、僕は牛窓を舞台にしたクラフトイベントを夢心地で妄想し始めます。

東日本大震災の支援「岡山から被災地に手仕事を届ける会」を共にしていたギャラリー店主に牛窓での構想を伝え、引き続き命綱を握り合うことに。
僕からは「牛窓国際芸術祭に学んで企画展にすること」を条件に出し、
公募方式にはしませんでした。
常日頃から「全ての不幸の始まりは、物事を比べるところに根っこがある」と考えている僕は、作品の写真や情報だけで出展作家を選考する手法を好みません。僕は選ばれる側(作家)の立場だから、書類や写真で作品が評価されている(比べられる)現場に立つと、自分の作品もこんなかたちで選考の対象になってしまうのかと心が締めつけられるし、作家がまるで駒のように扱われてることも許せません。
「選ばれるのは、使い手の視線だけで十分です」と言いたくなる気持ちを抑えることで精いっぱい・笑

牛窓では、自分の好みをたどったり作品を評価することなく、
「作家ひとりひとりのモノづくりの姿勢に
牛窓クラフト散歩の今後をゆだねてみたい」という願いを持ち続けています。





「モノを愛する前に人を愛しなさい」
モノの形やスタイルに捉われていた拙い木工を諭すように助言してくれた師の言葉を思い起こしながら ご縁のできた作家を訪ね、暮らしとモノづくりが重なり合うような作家の日常から、ありのままの仕事ぶりを伝えてほしいと願うだけです。




(写真提供)牛窓クラフト散歩実行委員会

ヒエラルキーのないクラフトフェアが失われていく

コロナ禍でクラフトフェアの自粛が相次いでいます。
これまで、クラフトフェアについて振り返ってみたこともなかったけれど、
こんな時期だからこそ、僕はなぜクラフトフェアに応募しなくなったのか?
その理由を考え直してみました。


従来型の公募展と異なるアンデパンダン(無審査)で始まったクラフトフェアも、
時代の波に押され(応募者が増え)、出展作家の人数制限を行うための「選考」が取り入れられるようになります。今では、クラフトフェアに選ばれたことを自らのプロフィールに載せる作家までいるというのですから、入選することが作家の勲章のように扱われていた かつての公募展の有様に逆戻りしているようにも見えます。クラフトフェアに受かりたいがために、選考の傾向を探る作家まで出現しているなんて噂を耳にすれば、自分らしさを表現できる自由な風潮の場が失われつつあるとしか思えません。

確かに、公募展の入選歴や賞歴をプロフィールに書き込むことが作家の証と言われていた時代もありました。自分にもそういった時があったので否定できる立場にありませんが、入選歴や賞歴を並べたてるなんて、昭和生まれの僕から見ても「昭和」っぽ過ぎる(笑)
自らの眼を信じて、「好きなものを好きと公言しよう」と唱えていたクラフトフェアの精神は、一体どこに向っていくのだろう? 選考は、厳密になればなるほど審査員の好みのものが増えていくだけですから・・・

課題を受け、新たな創造へと挑む公募展の意義はいつの時代も変わりません。只、作家が入選歴や賞歴を胸にかざしてしまうと、プロフィール自体が作家の威厳へとつながりかねません。外に向けられたベクトルは、受賞を勲章にすり替え、知らぬ間に作家が「先生」扱いされたり、「大御所」という仮面を被らされたりするのが落ちです。公募展に向けて努力した結果(賞歴)は、自らへのご褒美くらいにとどめておく方が、等身大の姿を見失わずにいられるのではないでしょうか?


クラフトフェアの大きな目的は、作り手と使い手の柵を取り払い、
共に生きる豊かな生活を望めるところにあります。
権威のない場所にしか生まれない「真の自由」、柵のない世界。
クラフトフェアに自由な風を取り戻すには、
「どんな場所どんな人たちと並んでも、必ず見てくれている人はいる」と、
使い手の眼を信じている作り手を探す手立てを考えだすしかありません。
ヒエラルキーを生まないクラフトフェア本来の姿を求めて。

(つづく)









プロフィール

HN:
山本美文アトリエ
性別:
非公開

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