「ハレの日」の朱(あか)

師走。
(もう、12月かぁ~~)

子供の頃は、クリスマスが待ち遠しかった!
母親お手製のごちそうを食べきった後、
今年こそは!サンタクロースが来るまで寝ないぞ!!
と意気込んでふとんに入るものの、
毛布の暖かさに包み込まれるや、zoo~~~(夢の中)。
翌朝の枕元には、
夢の続きが届けられていた。


時は移り変わって、
外食やテイクアウト(料理人の味)が一般化した社会から見た
クリスマスの食卓って、
今の子供たちの眼に どのように映っているのだろう?
家庭の味より
「外で食べる方がいい!」と叫ぶ子がいてもおかしくないご時世。
中には、
「クリスマスだからって、欲しいものも食べたいものもない」
と口走る子供までいるのだとか・・・
子供たちの心の渇き(欲求)まで奪ってしまう現代社会って
本当に豊かなのかなぁ?

心の渇きを癒してくれる「ハレの日」(祝い事)の喜びは、
本来「ケの日」(清貧な日常)が呼び込むご褒美のようなもの。
ところが、
華やかな日常ばかり求めていると、
上ばかりを望むあまり、
ささやかな喜びは、するりと逃げてしまう。

「ハレの日」は、時々やってくるから
嬉しいのだ。






経済が豊かになれば「夢が叶う」
という(モノで幸せを買う)幻想を捨て、
ささやかでも、
身の丈に合った暮らしを貫く世相が注目されている。

日々の暮らしに豊かさを求める若者たちが、
ここ数年増えてきているようにも見える。
外食よりも手料理を愛し、
質素な毎日でも 
器づかいや献立で「ケの日」を愉しむ世代だ。





「ケの日」を大切に過ごす人ならば、
食卓に置かれた朱の器を見ただけで
「ハレの日」の装いを直感できたりもする。

「あれ、今日は何の日だっけ?」
 って具合に。
 
朱(あか)は、「ハレの日」の目印。

「今日は、田舎のおばあちゃんのお誕生日」
「そうか! 電話しておかなくっちゃね」

そんな会話の中にある「幸せ」を大切に生きたい。

朱のうつわ ひとつで、
食卓を囲む家族にも「ハレの日」を祝う
喜びが伝わっていきます。












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プロフィール

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山本美文アトリエ
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