「ひびきあうもの・2021」を訪ねて



雪をかぶる大山を望み、
一路「ひびきあうもの」展の開催されている
松江の清光院下ギャラリーへ。



初回展から見せてもらってきた「ひびきあうもの」展も、
11回目を迎えるそうです。

企画を担当されている高橋香苗さんからは教えられることばかり。
毎回、展のコンセプトを立て、
それに従って作家とも話し合いを重ねていくそうです。




豊かさの真理を求める彼女の手腕を楽しみに
心の扉(DOOR)を開き、
今回も、展の狙いと今後の工芸のあり方について一時間以上話し込んじゃいました(笑)





こんなことを言うとおこがましいのですが、
企画にむかう高橋さんの眼差しは、
僕が理想とする「手仕事を通して見つめる暮らしへの視点」とも重なります。

昨今、どこに出掛けても同じようなイベント事しか見られなくなったのは、
情報化する社会が弊害になっているだけではなく、
集客数に捉われる主催者と
売上げばかり気にする作家の姿勢に原因があるのかも・・・

高橋さんの手腕の素晴らしさは、
集客や情報に操られることなく、
暮らしの豊かさを問う自らの営みを軸に、
個々の作家の個性を見抜き、
それぞれの特性を活かした地域ならではの音色を求める姿勢にあると思うのです!
彼女はその音色を聴き分けてくれる来場者の明日を信じているようにも映ります。






みんなの意見を集約するイベントは行政に任せ、
その地方ならではの風土に根ざしたものづくり(足元)を見つめることでで響きあう
ハーモニーを奏でてみたい・・・
そんな音色の響く空間を実現するためには、
彼女のような指揮者の役柄が求められますよね!





高橋さん主宰のブックストアと隣接するギャラリースペースに
細川亜衣さん(料理研究家)を迎えた個展からもずいぶん経ちますが、
僕と高橋さんとの間で共通する現在の工芸理念についても話し合い、
ぼんやりとではありますが、
次回展の企画内容が芽生えました。
期日の約束までには至りませんでしたが、
心洗われる提案に心まで震えたのでした。



「ひびきあうもの・2021」は、12/5まで。



「日野百草丸」と座卓

「君は材木、私たちは木の皮の部分が材料になる」

地元の木工が集まって企画した「木曽の木工家たち展」の会場で、
工房を開設したばかりの僕に声をかけて下さる方がいた。

もう、30年以上前の話になる・・・
専門校を出たばかり。
ひとりで仕事も取れずにいたペーペーの木工に、
「うちの工場の横に積み上げているキハダを使って、これから新築する自宅用に(炉を切った)座卓を作ってもらえませんか?」と男性は続けて話しかけてくれた。

願ってもないチャンス!
だけど、交渉事に慣れていない僕の返答はシドロモドロだったに違いない。
思い返せば、20代の若造(木工)の何が気に入って声をかけてくれたのかさえよくわからない。
(やる気だけは誰よりも満ち溢れて見えていたのかな・笑)

数日後、指定された場所に行って初めて、
そこが「日野百草丸」の工場だと知ることに(国道19号線沿いの看板はよく見かけていたけれど)。そして、その男性が日野製薬の社長であることも。

表面の外皮を剥くと見える、中の黄色い部分が「黄檗」と呼ばれる
漢方の原料になるとお聞きし、いただいた薬のサンプルを口にすると、
「良薬口に苦し」の語源の意味まで即時体感できた・笑



オウバクエキスは、健胃・整腸・腸内殺菌に効くという。

(製薬会社にとっての)残りものになる木の部分を家具にするという循環にも関心を抱きながら、その頃持っていた全てのスキルを総動員して家具の製作に当たった日々が懐かしい。

他に仕事のなかった僕の納期は順調で、遅れ気味の新築が完成する前に納品できたので、
まだ切り取られていない掘りごたつの部分の上に、さっさと納品して帰っちゃうあたりも、若さゆえの行動。今考えると、現場監督にちゃんとご挨拶して帰ったのかさえ不安に思えて、冷汗が出てきそうになる・・・







「来客の間」に納めた別の座卓の写真は、ポジが行方不明。
耳付きの板を2枚寄せ合わせた座卓中央のすき間の下に据えた花器に季節の花を活けることで、
座卓(天板)の中央部に浮かぶ花から暦を感じらとれる座卓に仕立てた。
木祖・藪原の森に佇む一軒家に訪ねてこられる来客との間を、今も野花が取りもってくれているだろうか?



小鳥の詩(うた)を唄いたい

ロクロも漆も習ったことのない木工は、
小鳥に倣って器を作ります。


お手本で頭に描くのは、




       小枝を集めた巣の形状。


器の「格好良さ」(デザイン性)ばかりに気を取られ、
自分らしさを追いかければ追いかけるほど
遠ざかっていく永遠性・・・

小鳥はいつもヒナのために巣作りをします。

守りやすい形もさることながら、
自然のリズムに耳を傾けていなければ、
ヒナは生きていくことさえできなくなるのです。

「生」のリアリティを持った形状は、
必然的に「永遠性」を帯びるものなのでしょう。

「牛窓クラフト散歩」のスタンス

「瀬戸内国際芸術祭のさきがけ」とも云われている「牛窓国際芸術祭」を主宰された(故)服部恒雄さんが、倉敷で立ち上げたばかりのクラフトフェアの会場を訪ねて下さった日のことは、今も忘れることができません。爽やかな五月の風が吹き抜ける広場で、冗談も交えながら牛窓国際芸術祭に至ったいきさつを聞かせてもらいました。
「現代美術が街に出る」というコンセプト自体が珍しい時代(1984~1992)に開催された祭典だったので、様々な困難やご苦労もあったことでしょう。
服部さんに教えを請いたくて、「牛窓の街並みとオリーブ園を舞台にしたクラフトイベントが実現できれば、服部さんの意思を汲むことに繋がるかもしれませんね」と問いかけたら、「開催が決まったら全面的に協力しますよ」といったお墨付きまでいただいたその日から、僕は牛窓を舞台にしたクラフトイベントを夢心地で妄想し始めます。

東日本大震災の支援「岡山から被災地に手仕事を届ける会」を共にしていたギャラリー店主に牛窓での構想を伝え、引き続き命綱を握り合うことに。
僕からは「牛窓国際芸術祭に学んで企画展にすること」を条件に出し、
公募方式にはしませんでした。
常日頃から「全ての不幸の始まりは、物事を比べるところに根っこがある」と考えている僕は、作品の写真や情報だけで出展作家を選考する手法を好みません。僕は選ばれる側(作家)の立場だから、書類や写真で作品が評価されている(比べられる)現場に立つと、自分の作品もこんなかたちで選考の対象になってしまうのかと心が締めつけられるし、作家がまるで駒のように扱われてることも許せません。
「選ばれるのは、使い手の視線だけで十分です」と言いたくなる気持ちを抑えることで精いっぱい・笑

牛窓では、自分の好みをたどったり作品を評価することなく、
「作家ひとりひとりのモノづくりの姿勢に
牛窓クラフト散歩の今後をゆだねてみたい」という願いを持ち続けています。





「モノを愛する前に人を愛しなさい」
モノの形やスタイルに捉われていた拙い木工を諭すように助言してくれた師の言葉を思い起こしながら ご縁のできた作家を訪ね、暮らしとモノづくりが重なり合うような作家の日常から、ありのままの仕事ぶりを伝えてほしいと願うだけです。




(写真提供)牛窓クラフト散歩実行委員会

ヒエラルキーのないクラフトフェアが失われていく

コロナ禍でクラフトフェアの自粛が相次いでいます。
これまで、クラフトフェアについて振り返ってみたこともなかったけれど、
こんな時期だからこそ、僕はなぜクラフトフェアに応募しなくなったのか?
その理由を考え直してみました。


従来型の公募展と異なるアンデパンダン(無審査)で始まったクラフトフェアも、
時代の波に押され(応募者が増え)、出展作家の人数制限を行うための「選考」が取り入れられるようになります。今では、クラフトフェアに選ばれたことを自らのプロフィールに載せる作家までいるというのですから、入選することが作家の勲章のように扱われていた かつての公募展の有様に逆戻りしているようにも見えます。クラフトフェアに受かりたいがために、選考の傾向を探る作家まで出現しているなんて噂を耳にすれば、自分らしさを表現できる自由な風潮の場が失われつつあるとしか思えません。

確かに、公募展の入選歴や賞歴をプロフィールに書き込むことが作家の証と言われていた時代もありました。自分にもそういった時があったので否定できる立場にありませんが、入選歴や賞歴を並べたてるなんて、昭和生まれの僕から見ても「昭和」っぽ過ぎる(笑)
自らの眼を信じて、「好きなものを好きと公言しよう」と唱えていたクラフトフェアの精神は、一体どこに向っていくのだろう? 選考は、厳密になればなるほど審査員の好みのものが増えていくだけですから・・・

課題を受け、新たな創造へと挑む公募展の意義はいつの時代も変わりません。只、作家が入選歴や賞歴を胸にかざしてしまうと、プロフィール自体が作家の威厳へとつながりかねません。外に向けられたベクトルは、受賞を勲章にすり替え、知らぬ間に作家が「先生」扱いされたり、「大御所」という仮面を被らされたりするのが落ちです。公募展に向けて努力した結果(賞歴)は、自らへのご褒美くらいにとどめておく方が、等身大の姿を見失わずにいられるのではないでしょうか?


クラフトフェアの大きな目的は、作り手と使い手の柵を取り払い、
共に生きる豊かな生活を望めるところにあります。
権威のない場所にしか生まれない「真の自由」、柵のない世界。
クラフトフェアに自由な風を取り戻すには、
「どんな場所どんな人たちと並んでも、必ず見てくれている人はいる」と、
使い手の眼を信じている作り手を探す手立てを考えだすしかありません。
ヒエラルキーを生まないクラフトフェア本来の姿を求めて。

(つづく)









プロフィール

HN:
山本美文アトリエ
性別:
非公開

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