シェーカー様式に学ぶ美しさの源流は、
単に形や簡素なデザインにとどまるものではありません。
僕は、「デザインされたもの」が大の苦手。
誤解されやすいのだけれど、
デザインが嫌いというわけではなくて、
デザインありきの品は、
格好良く映ったりする(ひとめぼれし易い)のだけれど、
使い勝手が気になりだすと
途端に出番が減っちゃうからなのかも。
一方、品を売ることを目的に作られていないシェーカーの生活具は、
あくまで使い勝手の中で育ってきた形そのもの。
蝋燭が倒れないように考えられた(三脚の利点に基づいた)3本脚の
小テーブルや、清掃を重んじたシェーカー教徒が
掃除し易い(箒が入り易い)ようにデザインされた脚の形等々。
それぞれの形が全て使い勝手に通じています。
だから、使う程に馴染んでいく。
取っ手ひとつ見ても、
その理念は感じとれるはず。
シェーカー様式に学ぶべきは、
形をなぞることではなく、
「使い手に寄り添う」という言葉の真の意味を知ることにあります。