クラフト~遠い記憶・4

信州で木工を学び、
手につけた職だけを頼りに帰郷。
生まれ育った家の前の
崩れかけた納屋を一年かけて改装します。

岡山への工房移設を機に掲げた「原点回帰」の旗。

自分らしい家具を探求すればするほど、
作り手としての「我」が出てくる感じも嫌だったし、
自己表現を意識すると、
「名を売りたい」という欲まで付いてくることがスケベったらしくて
(情けなくて)・・・

欲に駆られず、仕事に永遠性を求めた
シェーカークラフツマンシップをもう一度学び直そうと
原点回帰の旗をあげ、
仲間を集い、
「シェーカー様式に学ぶ」という企画展を岡山と倉敷で発表します。

その取り組みに関心をいだいてくれた
住宅誌の編集長からの依頼で、
2006年発売の
「住む」17号(特集・誠実なデザイン)に
10ページの記事を寄せました(表紙が工房です・笑)
それまで、
雑誌に掲載された作品が売れることなどありませんでしたが、
「隠れシェーカーファン」なる人たちが大勢いるのか?
発売と同時に工房に注文が殺到し、
約1年半、その製作に追われます。

その後、大阪と東京のギャラリーから
「シェーカースタイル展」を依頼され、





大阪・Saji展では、

シェーカー家具への思いのたけを
10篇の物語に書き留め、
小冊子にまとめました。










東京・而今禾 展では、
シェーカーのモノづくりに関心を寄せる
異素材の作家にも参加してもらい、

普遍性を帯びる生活用品を具現化。
イラストレーターの平澤まりこさんには、ペン画で
シェーカー教徒の暮らしぶりを描いてもらいました。(会場の写真を撮る平澤さん)


シェーカーの家具や生活具をあらためて連作することで、
作り手の精神性(craftsmanship)が  モノの形に反映される怖さを再認識し、
自らの欲の前に、
使い手に身を尽くす手仕事の意義を考え直す機会になりました。

これを機に、
僕のモノづくりも、
「使い勝手」の伴う必然性に満ちた美を求め、大きく舵を切っていくことになります。

                     
                                   (つづく)



クラフト~遠い日の記憶・3

初個展は、倉敷のギャラリーでした。

片道の旅費しか持ち合わせていなかったので、
何も売れなければ、
木工を辞める覚悟で倉敷に向かった車中での気持ちが甦ります。


初日に出向いてくれた組み木作家・小黒三郎さんに誘われるまま、
ギャラリーから歩いて直ぐのアトリエで
小黒さんの手料理を囲み、ワイン片手に
大御所の意見を聞けた日の歓びは、今でも忘れられません。

小黒さんには、デザイン論だけでなく、
工芸界の「雲の上の人(作家)」を囲む席に誘ってもらったり、
全国各地のギャラリーを紹介してもらったり、
その後も多大なる影響を受けました。


その頃、松本では
審査によって選ばれる従来型の公募展と距離をおき、
使い手が、
好きなものを 堂々と「いいモノ」と言える
クラフトフェアが話題になり、
「権威なき屋外展」として注目され始めていました。

まだ自立型のテントがない時代だったので、
雨が降ってきたら、避難していたような記憶が・・・笑

「無審査ゆえ優劣はなく、選び出すのはクラフトフェアを訪れた一人一人の感性」
審査員が美を指南する保守的な工芸展へのアンチテーゼもあったのか?
経歴を並べ立てる作家もなく、
使い手の目を信じ、
作り手と使い手が肩を寄せ合う光景は、
会場を吹き抜ける風のように爽やかに、工芸界に新風を巻き起こしました。



                信州時代に製作していた家具の写真
                                          ↓

久々に見ると、
懐かしいなぁ~~~
(30~35才頃の作品です)







木工の世界に足を踏み入れ、
「職人は10年で半人前、20年で一人前に育つ」と教えられ、
当初2~3年で一人前になれると思っていた夢も崩れ、
10年間(一人前になるためのスタートラインまで)は、
信州で続けていこう!と覚悟します。



スキーとの二足の草鞋を履く余裕など ないことに気づくのでした。

                 
                   (つづく)






クラフト~遠い日の記憶・ 2

26才の時 移住した白馬で 知り合った松本のカフェ店主から
紹介された大工やステンドグラスの作家らと親しくなり、
「木工を学ぶなら木曽の専門学校にいい先生が居るから、そこに行きなよ」
と薦められるままに、長野県立上松技術専門校(木工科)に入学。

その頃は、「冬場はスキー、オフシーズンに木工」くらいの甘い将来図を
思い描いていたのかもしれません・・・

専門校時代に習作した
シェーカー様式の「ラウンドテーブル」

  模写することはできたものの、
  当時、シェーカー家具の持つ
※必然の形  を読み解く力はありませんでした。

                   ※カメラの三脚同様どんな場所に設置しても 安定する三本脚。
                   (蝋燭から 火災を防ぐための知恵)
                      脚のアールは、 
                      シェーカー教徒が清掃時に使う箒(ほうき)が入り易いデザインに。
 
                      単純な形を「シンプル」と敬称されがちですが、
                      必然性に導かれる真の意味を確かめるためにシェーカー家具を習作。


冬はスキー場、
夏は木曽駒ケ岳(中央アルプス)登山口にある山荘で働きながら、
何とか一年間の学校生活を終えたものの、
現実に直面する僕を待ち受けていた極貧生活。
専門校を出たとはいえ、
半人前にも到達していない腕前ゆえ、
直ぐに家具の注文など入るはずもありません。
(なのに独立?)       なりは貧乏でも、
                                    心晴れやかに生きることって、
                                    本当にできるのかも試してみたかった・・・

(おかげ様で貧乏まで怖くなくなり、いまだに続けております・笑)

標高1000ⅿ、
冬は氷点下20℃になる「ポツンと一軒家」で、
春の山菜、秋のきのこ、
夏は畑を耕し、
冬は保存食で生き抜き、
時折、心配する母親や友人から届く電報で
生存確認されながら、
手持ちの手道具で自宅で使うための小物を連作していたのでした。

情報を一切遮断した寒村での空白の時間(約1年半の年月)が、
ぼくには必要な時間だったのかもしれません。
電話も新聞もテレビも(もちろんパソコンなど)ない生活だったけれど、
豊かな自然に囲まれた森での暮らしは、
高度成長期以降の情報過多による弊害⇒流行過敏の「たが」を外すための
(木工家を志すための)準備期間だったようにも思えます。

半自給自足の生活を続けるうちに、
部屋に収まりきらないほどの作品がたまり、
置場に困った僕は、
次の作品を置くための場を空けたい!と、
無謀にも、個展を妄想し始めるのでした。

30才の頃です・・・
                       
              (つづく)

















クラフト~遠い日の記憶

大学卒業後、
スキー場の近くに住みたくて、
学生時代を共に東京で過ごした高校時代の友人と三人で、
岡山と鳥取の県境に広がる蒜山高原に土地を買い、
セルフビルドの山小屋を建て始めます。

たしか、「棟上げ式」の日だったかと記憶していますが、
ふらりと姿を現した
ただならぬ 風貌の男性から
「近くにアトリエがあるから寄ってらっしゃい」と誘われ、
のこのこ ついて行ったのが、
その後 30数年 慕うことになる生涯の師との出会いに。

絵を描く合間にアトリエで木彫を愉しむ
画家の背中越しに見えた小鳥の表情に、

ぼくは釘付けになってしまいます。

 「小鳥の表情を1羽づつ変えることで美術と工芸はひとつになる。
    それがいわゆる『クラフト』と呼ばれる分野の仕事だろう。
    量産品との違いは、
    何羽削っても尽きることがないってことなんだよ。」

彫刻刀片手に、
諭すように話しかけてくれた画家の言葉が、
ぼくの心に突き刺さります。

一見、同じ鳥のように見えるけど、
並べて見ると、
顔の向きや表情が一羽づつ異なっている・・・
どこか かわいらしさを感じる手仕事ならではの奥義を、
『尽きることがない』という言葉に織り込んで、
わかり易くぼくに教えてくれたのです。

当時、工芸店や古道具屋を巡っては、
お気に入りのアイテムを集めることに夢中だった自分が、
初めて 作り手側のモノの見方に触れ、
『クラフト』という世界に関心をいだいたその日から
蒜山への「アトリエ通い」が始まります。
3~4年経った頃だったでしょうか?
画家の先生からの勧めもあり、
ぼくは木工を学ぶために信州へ旅立つ決意をします。
まだ、木を削る技術さえままならぬヒヨコでしたが、
「近くにスキー場さえあれば、生活はどうにかなる!」
という軽い気持ちで
スキー用具と着替えを車に詰め込み、
学生時代から合宿や大会で馴染みのあった白馬へと向かいます。

26才の時でした・・・

(つづく)

飾らない家具

個人的な話ですが、
「ライフスタイル」という言葉を口にすることを控えています。

「時代と共に変わりゆくライフスタイル」
「新しいライフスタイル」
「流行りのライフスタイル」等々、

「ライフスタイルを替える」という言葉が、
家具の買い替えを迫る時の常套句として使われる場面をこれまでも見てきたからです。
ほんの半世紀ほど前まで、
普遍的な木組みの家具を丁寧に作っていた誇り高き職人たちが、
経済主義(使い捨て主義)の名の下で
次々と姿を消し、
見映え重視で、買い替えることを前提として作られるネジ留めの家具が台頭しています。

かつての職人達が誠実に作った証に刻印した「謹製」印を
復刻させたい気分になります!



いつの時代も愛される普遍的な家具は、
これといった特徴(顔)があるわけではありません。


いくら丈夫に仕立てても、
「好み」が分かれるような家具は、
特に、世代が引き継がれる時、
買い替えの原因になりかねません。

決して目立つことはないけれど、
失うと、
寂しさを覚えるような家具でいい。

家具を引き継ぐ時、
使い込まれた家具に刻まれる「家族の時間」ほど美しいものはないことを知るための。

























プロフィール

HN:
山本美文アトリエ
性別:
非公開

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