「クロスオーバー(小黒三郎×山本美文)展」2006 アーカイブ(その2)

2006年に、倉敷・ギャラリー幹で開催した
二人展(小黒三郎×山本美文)「クロスオーバー」展より












            「山本作品のさりげないおしゃれ」
このギャラリーで開かれる山本美文さんの個展を何度も見てきて、いつか二人で展示してみたいと思うようになりました。今回のクロスオーバー展を呼びかけたのはぼくの方で、山本さんは快く引き受けてくれました。
山本さんの家具の秀作のひとつに、踊り子がひと休みするための三本足の椅子があります。坐ると180度の方角に尻を回転でき、背もたれが肘当てになります。水平線と垂直線と円形からなる構成のバランスが美しく、10数年と使い見てきましたが見飽きません。円形の座板の上には、いつもぼくの新作組み木が飾られるようになりました。多分作者は組み木がここに置かれるとは考えていなかったかもしれませんが、ここに飾られるとぼくの動物たちが映えるのです。
作者の人柄、人格などが作品に表れるというのは、山本さんの作品を使ってきて「なるほど」と思います。単純、素朴、やさしさ、さりげないおしゃれ、そばに居るだけで心休まる作品であり、人柄なのだと もう20年近くおつきあいしてきて思います。これからの山本さんの歩みが楽しみです。
                               小黒三郎
           (二人展の会場入口に掲げられた挨拶文より)   2006年








ただ、作品を分けて並べるだけの二人展にならぬよう、
コラボレーションすることでお互いの作品が
いつもと異なる表情をみせ、
互いに刺激しあえる展示を心がけました。

「クロスオーバー(小黒三郎×山本美文)展」2006 アーカイブ(その1)

2006年に、倉敷・ギャラリー幹で開催した
二人展(小黒三郎×山本美文)「クロスオーバー」展より























                〈出会い〉
東に中央アルプス、北西に御岳山を望む木曽谷の山村にある木工の専門学校に通っていた20年前、糸鋸の練習をしていた友人が毎日のように動物の組み木を切り、自慢しながら僕に見せてくれたことがあります。後(のち)にそれが組み木デザイナー・小黒三郎さんの作品の写し(コピー)であることを知ったのですが、単純化されたその動物たちのなんともいえない愛くるしいデザイン、さらにそれらをパズル化した組み木という発想について、当時連日のように語り明かしていた若き木工の卵たちの間でも羨望の眼差しを持って受け入れられていました。
数年後、倉敷での初個展の折初めて小黒さんと出会い、専門学校時代に憧れた人を前にガチガチに緊張していた記憶だけが残ります。スイス・ネフ社とデザイン契約され、数々の美術館に永久コレクションとして作品が収められ、木工を通して世界中の子供たちに笑顔を贈る小黒さんの姿は、今も「雲の上のひと」という存在に変わりありませんが、初めてお会いして以来、そのデザイン観やものづくりとしての姿勢など教えてもらっています。
僕の20代は、スキーに情熱のすべてをかけ、木工とは無縁の世界からの転職だったため、小黒さんから聞くデザイン観のすべてが目から鱗(うろこ)状態。初個展以来やりとりしてきた手紙やファックスは大切にファイルし、時折読み返しては、ものづくりのヒントを得る僕のバイブルになっています。木工を初めて20年間追い求めてきた「素ゆえに美しいかたち」。この機会にあらためて見つめ直せれば、これほど嬉しいことはありません。
                                山本美文
            (二人展の会場入口に掲げた挨拶文より)   2006年



小黒三郎さんとの「お話会」当日の舞台裏

スロウな本屋での「お話会」当日の朝、
一週間後に故郷の鎌倉にもどられる
組み木作家の小黒三郎さんを迎えに
アトリエを訪ねました。

小さな糸のこの周りには、
試作品?や新作?も置かれています。


沢山の作品群に囲まれての生活ぶり。






「毎朝、布団の中で湧き出てくる」と表現される
創作の泉の深さ(エネルギー)には
頭の下がる思いです。

壁には、

1964年に開催された東京オリンピックの
オルガナイザー(デザインのまとめ役)をつとめられた
故・勝見 勝さんの辞世のうたがありました。

1979年、小黒さんの初個展(松屋銀座)の会場で
勝見さんと出会われた小黒さんは、
翌年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート王立美術館で
勝見さんが企画された「ジャパンスタイル展」に
「五匹の仔ぶた」を出展されます。

オープニング当日、
美術館を訪れたエリザベス女王が、
暫しその作品の前に佇まれていたという伝説の作品です。
(1943年に発表されたアガサ・クリスティーの推理小説
「五匹の仔豚」を女王はご存知だったのでしょうか?)

同年(1980年)、
小黒さんは、スイス・ネフ社とデザイン契約。
親交の深かった(スイスと倉敷を互いに行き来した)
ネフさんのサインも

アトリエの壁に掛けられていました。





お話会の会場に着くやいなや

絵本に夢中の小黒さん。
なんでも、
1か月後に絵本を出版される予定なのだとか。

お話会の会場には、

プロジェクターがセッティングされ、
二人のための待合室(お隣りさん)まで
準備してくださってました。

会場の脇には、
伝説の作品「五匹の仔ぶた」も展示されていました。


多くの人のお力添えのもと、
夢のような「お話会」(小黒三郎×山本美文)を実現することができました。

無謀ともいえる僕の願いに耳を傾けて下さった
スロウな本屋・店主の小倉さん、
プロジェクターを快く貸し出して下さった宮井さん、
映像をデザインして下さった亀田さん、
展示の構成を担当して下さった横山さん、
小黒さんとの打合せを段取りして下さった高橋さん、
お隣りのスミさん、
他、多くの方々のお力添えあっての夢のような時間でした。
巷で名の知れた「泣き虫木工」は、
口数少なく、
対談しながら涙をこらえることでせいいっぱい・・・

8月の暑い最中、
会場まで出向いて下さった皆さまに心より感謝いたします。
ありがとうございました。


「雲の上のひと」から届いた手紙

組み木デザイナーの小黒三郎さんに出会ったのは、
僕の初個展(倉敷)、29才の時でした。

日本を代表するクラフト作家を前に、
ひよこ印の木工は
何を話せば良いのかさえ
わからずにいましたが、
ひよこに奇跡が起こります?!

「ぼくのアトリエで乾杯でもしましょう」と
雲の上の存在の小黒さんに誘われ、
嬉しさのあまりピヨピヨ スキップしながら
ついていったような記憶があります。

最終学歴?が「スキー学校」の僕にとって(笑)、
小黒さんから聞くデザイン手法の
全てが驚きの連続でした。
(スケッチの段階から ほぼほぼ完成されている~~凄い~~!!!)

その後も、小黒さんのワークショップを手伝わせてもらったり、
手紙でやりとりしたり。
届いた便りは全てファイルし、デザインのバイブルに。

8月3日(土)の小黒さんとのお話会の会場では、
(その当時届いた手紙)を一部公開いたします。

   ※お話会の方は満席になっているようですが、
    手紙を読みたい方は午前中にでも。

  
        当日は、カトラリーの販売もしております。
 



     今回のお話会の案内板に使った写真は、
       「波乗りする動物たち」

2006年に開催した二人展「クロスオーバー」
(小黒三郎×山本美文)で展示した作品です。

鵠沼で育ち、海を愛する自称「湘南ボーイ」の小黒さん。
カラオケの十八番(おはこ)は石原裕次郎(^^♪
サーフィン黎明期には、
サーフボードを真似て切った合板ボードに乗って遊んでいたのだとか・・・



農業と工芸

梅雨の間に伸びきった
畑の草を抜き、

台風に備えて野菜に支柱をそわせます。


手仕事に従事してみたいという希望をいだいて、
弟子志願する若者が訪ねてきます。
「根気のない人には続かない仕事です」
とでも一蹴できればいいのですが、
根気のなさでは代表格とも呼べる自分が
30年以上続けてこれたわけですから、
「農業でもやりながら頑張ってみてください。
 食べるものさえあれば、生きていけますから」
と若かった頃の自分に置き換えて、
ついついエールを送ってしまいます。


毎日収穫する色とりどりのトマト。

「食べきれない~」と思いつつも
塩とオリーブオイルさえあれば、
何にでもアレンジできちゃう魔法の野菜です。

例年、畑で育ててきたスイカ

「スイカの赤ちゃん?」
「かわいい~~~」(女子口調で読んでみて下さい)

でも、今年はスイカを止め、
メロンに挑戦!!!

この手の「~~メロン」は、
どこから見ても瓜(うり)にしか写らない⤵



ゴーヤ、

つるむらさき、
オクラ、
生命力が強く、
虫も嫌うクセのある3種の野菜が
これからのビールの消費量をグンとあげてくれます⤴


農業や工芸は、むしろ、
根気のない人にもってこいの仕事です。

根気は、持って生まれるものではなく、
こらえたり辛抱を続ける中で
身につけていくもの。


甲子園を目指す高校球児のように、
日々の鍛練を積み重ねられる
(辛抱できる)者だけに
天使は微笑みかけてくれます。



プロフィール

HN:
山本美文アトリエ
性別:
非公開

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